ふたりのヌーヴェルヴァーグ

2011.10.05

久しぶり数日前に映画にいきました。
観たかった「ふたりのヌーヴェルヴァーグ ゴダールとトリュフォー」
ヌーヴェルヴァーグとは何だったのか。
ゴダールとトリュフォー、そして二人の間で運命を翻弄されるジャン=ピエール・レオ。
当時の資料映像、インタビュー、そして「大人は判ってくれない」のカメラテストを
受けるジャン=ピエール・レオ。
ヌーヴェルヴァーグ時代にはかかせない人々のエピソードももちろん描かれているが
「大人は判ってくれない」「勝手にしやがれ」この2本を中心に進んでいく。
そして1968年の5月革命までと、その後のふたり。
なぜ、トリュフォーと、ジャン=ピエール・レオにこんなにも惹かれてしまう自分が
いるのか改めてこの映画観て感じた事。
トリュフォーの、孤独な少年時代、批評家になり映画を撮るようになるまでの人生。
その人生を、映画の中で演じ続けたジャン=ピエール・レオ。

「大人は判ってくれない」でのラストシーン。
鑑別所から脱走したアントワーヌは海に向かって走る。波の音が静かに聞こえてくる。
アントワーヌは波打ち際で足を止め、海に背を向けふりかえる。
その瞬間、画面はストップモーションになりアントワーヌの顔が迫ってくる。
暗い孤独な眼差しを、暗い表情で、途方に暮れながらも、生きていく決意を示すように。
その暗い孤独な眼差し、14歳に少年の表情にしてはあまりにも悲しく、そして美しい。
やはり何にしてもラストシーンというのはとても大事なのです。
映画はもちろん、きっと人生においても。

上映期間が1週間、上映時間帯が朝1か、夜の20時30分から。自由な時間がとりにくい
私には厳しかったが、夜に行くと決めていた。基本的に映画は1人で行きたい。
そして出来ればレイトショーだ。夜の方が人も少ないし(可能性として) 集中できる
気がするのと、映画を見終わった後、その映画を思い出しながら帰る道のりは、なんとも
いえず幸せな時間となるのです。
暗い映画が好きな訳ではない。考える映画が好きなのです。きっと。
この頃の映画をあまり好きではない人もいるでしょう。20代の方はこの映画の存在も
知らないかもしれません。でも機会があったら是非観てほしい。
20代の若者が、それまでの映画の作りかたをくつがえし、多くの映画を観ることで
映画を作り始め 生み出し、革命を起こした映画を。
そして、1度観たその映画を5年後、10年後に改めて また観るのもいい。
少し大人になり若かった頃には理解できなかった事がほんの少しわかり始める。
大人になる事も、歳を重ねる事も、そう悪くないなという気持ちになるかもしれない。

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